
信州は土地柄、林道や河原のコースがそれなりに多い。大学1年('82)のとき、当時のオールS大・二輪部長のスエイシさんらに影響され、多くのメンバーがオフロードに転向した。初の主催レースは、長野市篠ノ井の信更(しんこう)にあったコース、我々下っ端も、賞品等のスポンサー集めに奔走したものだ・・・あそこもどうなっちゃったのだろう・・・出走マシンものどかだった。水冷バイクなど皆無、1年坊主もボロボロのDT90(もはや誰も知らんか)でデビューを飾った。主流は23インチスニーカーことXL250S、TS250などか。ついでだが当時黄色いクルマは、ちょいと1本切れた走りをする人が多かった。町中ウイリーにも黄色が多かったっけ・・・・負けじとセンパイたちも、主催者側によるデモ走行(?)と称して、某タケダさんはRD400、人文のシノダ先生はSR400+黒の皮つなぎに白タスキなどという出で立ちでジムカーナを披露した。無論ダートで。
当時オフの洗礼を受けたオレも、後に後輩の水冷DT125でエンデューロデビューした。皆すごい格好だった。単車はボロボロ、モトパンもなく、手作りのパッドをヒザにあて、ロードバイク用ブーツに至る所ガムテープでチューンアップした・・・・いかん、書いていて情けなくなってきたが、ともかく皆ボンビーだった。
「私の記憶が確かなら((C)鹿賀丈史)」、ヤマハの車名はアルファベット2文字、最初が排気量、次が種別を表す慣わしだった。Rなら350cc、Dだと250、以下忘れたが、Eが260? Aが125? Gが50・・・詳しい方のフォロー求む。
で、2文字目はXがオンロード、Tがオフロードバイクだ。つまり、DTなる名称は、即250ccのオフ車を表すのが語源。初代DT(DT-1)は、今みてもセンスのあるフォルムだ。乗ったことはないが。
初の市販水冷オフ車がDT125、たかだか16馬力、レースでは恐ろしく静かな単車だったが、オフ初心者には使い切れないパワーだったと記憶する。後に悪友コジマ氏と共同で初期型DT200Rを購入(結局自分のモノにしちった)、やっぱ単車はオフだよね、となっていった。またまたヒンシュク覚悟だが、ヨーロピアン車、バックステップにセパハンは感覚的に正常位、オフ車はバックないし駅弁か。じゃあアメリカンは?
・・・敢えて言えば下で寝る感覚だなあ。ラクチンだし。(苦情・お叱りのメールありがとうございます)